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ガルシアへの手紙

2007年03月11日

人間の生き方、あるいは仕事に対する姿勢として、こういうようにあれたらいいなということは誰しも考えることでしょう。
 ある時ふと手にして、社会人になる息子たちにも是非読んで欲しいと思っった本があります。

それはガルシアへの手紙という本です。その感動的な素晴らしい本を紹介してみたいと思います。

キューバ事件に関するあらゆる事柄の中で、ある人物の存在が、私の記憶の中では、火星が大接近してきたときのごとくはっきりと抜きんでている。

かつてスペインと合衆国の間に戦争が起こったとき、早急に反乱軍のリーダーと連絡を取らなければならなくなったことがある。その男ガルシアは、キューバの山奥のどこかにいるとのことだったが、誰もその所在を知るものはいなかった。郵便も電報も、ガルシアの元へは届かなかった。だが大統領はなんとしてもガルシアの協力を取り付けなければならなかった。しかも早急にだ。

 どうすればいいのだ!
 誰かが大統領に進言した。「ローワンというものがいます。彼ならば必ずや大統領のためにガルシアを見つけてくれるでしょう。」

 ローワンは呼び出され、ガルシアに配達されるべき手紙を渡された。「ローワンという名の男」がいかにして手紙を受け取り、防水袋に密封し、胸の所に革ひもでくくりつけ、四日後の夜に単身ボートにてキューバの海岸に近づき、ジャングルに姿を消し、そして三週間後にキューバ島の別の海岸に姿を現したのか、つまり、いかにして敵地を自分の足だけを頼りに横切って、ガルシアに手紙を配達したのか、その詳細をここに書き記すことは私の本意とするところではない。

 ここで述べたいのは以下の点である:マッキンリー大統領はローワンにガルシア宛の手紙を託した。そのときローワンは、手紙を受け取るに当たって「その人はどこにいるんですか?」などと尋ねなかったのである。なんという男! 彼こそは、その姿を銅像に残し、国中の学校に設置し、もって永遠にその業績をたたえるべきである。

若者に必要なのは、机上の勉強や、あれやこれやの教えなどではない。背筋をビシッと伸ばしてやることである。そうすれば、若者はおのずと課せられた信頼に応え、素早く行動し、精神を集中させ、そして「ガルシアに手紙を持っていく」人物となっていくであろう。
 ガルシア将軍はもうこの世にはいない。しかしガルシアは他にもたくさんいるのだ。

 多くの人手を必要とする大事業を実現しようと努力してきた人間ならば、きっと愕然《がくぜん》としたことがあるだろうが、普通の人間はあまりに愚鈍《ぐどん》で、一つの事業を成し遂げようとする能力も意志も持ち合わせていないのである。

いい加減な手助け、愚かなうっかりミス、どうしようもない無関心、そしていい加減な仕事、こんなものが幅を利かせているのが現状なのだ。

そういうものたちをひっかけたり騙したりおどかしたりして、強制的にやらせるか、お金で釣るか、あるいは神がその善き御心から奇跡を起こし、光の天使をアシスタントとしてつかわされたりされない限り、事業を成功させることはおそらくできないだろう。

 読者におかれてはぜひ以下に示すテストを試みられたい。あなたは自分のオフィスに座っている。そして六人の部下を使っているとしよう。
 ここで誰か一人を呼びだし、こう命令してみるのだ。「百科事典を見て、コレッジオの生涯について短いメモを書いてきて欲しい。」

 さて、部下はすぐに「分かりました。」と言って仕事に取りかかるだろうか?
 おそらくあなたの状況では、そうはならないだろう。たぶん、どんよりとした目であなたを見つめ、こんな質問をいくつか聞いてくるだろう。
 「コレッジオって誰ですか?」
 「どの百科事典を見ればいいんでしょうか?」
 「百科事典のどこに載っているんですか?」
 「私はそのために雇われてるんですか?」
 「ビスマルクとは関係ないんですか?」
 「チャーリーにやらせたらどうですか?」
 「その人は故人ですか?」
 「どれくらい急いでやればいいんですか?」
 「本を持ってきますから、ご自分でなされたらどうですか?」
 「いったい何が知りたいのですか?」

 そして、賭けてもいいが、あなたが以上の質問に答え、いかにして資料を探すのか説明し、なぜそれが知りたいのかも話した後に、部下は部屋を出て、他の部下の助けを借りながら、“ガルシア”を探そうと試みた後で、引き返して「そのような男は存在しません。」と報告するだろう。もちろん私が負けるかもしれない。しかし、平均の法則によれば、私は負けはしない。

 あなたがもっと賢明であれば、「部下」に対して「コレッジオ」は「K」じゃなくて「C」の項にあるんだよと付け加えることはせずに、にこっと笑って「気にするな」と言って自分で探しに行くに違いない。
 こういった自分から行動を起こさず、道徳心のかけらも持ち合わせず、なんのやる気も持たず、みずから進んで気持ちよく頼まれごとを引き受けようとしないなどという行動をするから、真の福祉社会がいつまでたっても実現しないのだ。

自分のためにだって行動を起こさないのに、そんな人たちがみんなのために何か行動を起こすのだろうか? 棍棒でむりやり行動させるナンバー2が必要になるだろう。土曜の番にはクビに対するおそれから、実におおぜいの社員が職場にとどまらざるを得ないのである。

 速記者を募集しても、十人に九人はスペルも綴れず、句読点の打ち方も知らず、しかもなぜそれが必要なのかすら考えていないのだ。
 そのような男にガルシアへの手紙を書かせることができるだろうか?
 「あの簿記係、いるでしょう。」ある大工場で工場長がこう言ってくる。
 「うん、それがどうした?」
 「えぇ、あいつ、計算は立派にやるんです。ですが、あいつを街に使いをさせると、だいたい要件は終わらすんですが、たまに、四軒酒場に寄り道して、大通りについた頃には、何を言われたのか忘れちまってることがあるんですよ。」

 こんな男に、ガルシアへの手紙を持っていくよう頼むことができるだろうか?
 私たちは最近、「非人間的な工場にて虐《しいたげ》げられた社員」や「すばらしい雇い主を捜す浮浪者」に対する、いささか感傷的な同情の念をよく耳にする。
 それにはしばしば、力ある人間に対する厳しい言葉がたくさんくっついていることが多い。それに対して、雇い主に対してそのように言われることは全くない。彼らが薄汚いろくでなしに知的な仕事をさせようとむなしい努力を続けた末に、実際の年より老けてしまったり、何もしないのみならず、背中を見せるとサボりだすような人の「助け」を当てにして長いこと我慢強く奮闘しているのに、である。

 あらゆる店や工場の中で、無駄を取り除こうという努力が日々続けられている。雇い主は、仕事での利益を最大限上げるなどという能力を持ち合わせていない「助っ人《すけっと》」を日々追い出して、代わりの人を雇い続けている。好景気の時でさえこのような努力が続けられているのだから、万が一景気が悪くなって仕事がなくなってきたら、よりいっそう人員整理が激しくなり、能力を持たない下らぬ輩は職を失い、二度と仕事に就けなくなってしまうのだ。

 それが適者生存というものなのだ。自己の利益を追い求めんがために、あらゆる経営者がベストを尽くそうとする、これすなわち、ガルシアへの手紙を運べる人を雇い続けることにつながるのだ。

 私は最近、才能あふれる紳士と知り合った。彼は自分自身のビジネスを運営する能力を持っていないのであるが、それにも関わらず、他人のために役立つことが全くないというのだ。それというのも彼は、雇い主がいつも自分を虐げている、あるいはそういう目的をもって行動しているというおよそばかげた妄想を抱き続けているからなのだ。彼は他人に与えることができない。従って、他人から何かを受け取ることもない。もし彼に、ガルシアに手紙を持っているよう命令したならば、その答えはきっとこうに違いない。「自分で行けば。」

 今夜もこの男は仕事を探して通りを歩き続けるだろう。すり切れたコートのほつれからピューピュー風を通しながら。彼をあえて雇おうというものに誰も心当たりはない。それは彼が先頭を切って不平不満をあおるからなのだ。しかも鈍感ゆえにそれが分からない。分からせるには底のあつい革ブーツでけ飛ばしてやるしかない。

 もちろん、このような心のねじ曲がった男たちなんて、身体障害者ほどの同情に値するものではない。むしろ、同情の涙は別の者たちのために流そうではないか。つまり、偉大なる目的のために就業時間など関係なくひたすら努力している人、そして、自分を無視する者やだらしない無能力者、心ない恩知らずたちを率いて苦闘してきたおかげであっという間に白髪を抱えてしまった人たちにこそ流してやるのだ。もし彼らの事業がなくなれば、そんな輩はたちまち貧乏となり、ホームレスになってしまうのだから。

 私は言い過ぎてしまったんだろうか? 多分そうなのだろう。だが、世界中がスラムを抱えている今、私は成功してきた男たちに激励の言葉をかけてやりたいのだ。彼ら成功者たちは、その目的のために他の人たちの助けを集め、成功してきたのにも関わらず、何も手元に残らないのである。ただ住む所と着るものを除けば、本当に何もないのだ。

 私は弁当箱を持っていって日雇い仕事をしたこともあるし、人を雇ったこともある。だから、両方の立場について何を言うべきかよく分かっている。貧乏なことはそれ自体美徳ではない。襤褸《ボロ》を着ることは誉められることではない。雇い主がみな強欲だとか高圧的だとかいう主張は、あらゆる貧乏人がみな有徳の士であるという主張と同じくらい間違っている。

 私の関心は、「ボス」がいようといまいと、同じように仕事をする人に引きつけられる。彼こそはガルシア宛の手紙を与えられれば黙ってそれを受け取り、無駄な質問もせず、手近な下水道に手紙をこっそり投げ捨てたりせず、よそ事をしないで手紙を届ける男であり、そういう男ならばレイオフ宣告を受けることもなく、高い賃金を求めてストライキを打ったりする必要もない。

文明世界はそのような人間を熱心に捜し続ける一つの長い道程である。そのような男が求めるものはなんだって与えられるだろう。彼のような性格の持ち主は非常にまれであり、雇い主には彼を手放す余裕など持てないものである。彼はあらゆる都市、町や村で――どこのオフィスでも店でも、倉庫でも工場でも――必要とされている。全世界が彼を呼んでいるのだ。

「ガルシアへの手紙を届けられる」人間は、どこでも、本当にどこでも必要とされているのだ。

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